シュガーレイディ



「燭台切〜。つまみまだか?」
「あー、ごめん! 出来てるから持っていって!」
 フライパンを返しながら、肩越しに返事をすると、了解ーと間延びした声で答えた御手杵くんが、テーブルの上から大皿をふたつ掴んで出て行った。火を止めて、炒めた料理を皿に移していると、今度は電子レンジに呼ばれる。てんてこ舞いだ。
 今夜は、主が探し回ってやっと見つけた日本号さんの歓迎会をしている。酒好きの日本号さんに合わせて、今夜は主が振る舞い酒を用意すると豪語したせいか、しょっぱなからペースが速くて大きい刀剣たちの二日酔いが心配だった。もちろん、お酒を飲まない刀剣たちも多い。主に短刀がそうなのだが、御手杵くんもどちらかというと食い気のほうが勝るらしく、さっきから食べ物を取りに来るのはほとんど御手杵くんひとりだった。
 こうした歓迎会は、刀剣が来るたびにいつも行うわけではない。今回は三名槍が揃った記念と、しばらく宴会をしていなかったこともあって、実に数か月ぶりの開催だった。前回の宴から、本丸の刀剣はずっと数が増えている。前に賄いを引き受けた時は、いくつか料理を作ったところで自分も宴に参加できたのだが、今回はそうもいかないようだ。一緒に料理を作っていた歌仙くんは、酒が足りなくなりそうだと聞いて、慌てて補充に走っている。彼が戻ってくるまで、ここは僕の戦場だ。せっかく主がシステムキッチンを導入してくれたのだから、それに見合う料理を作りたいという欲求もなきにしもあらず。改めてよしやるぞ!と気合を入れ直した僕が、コンロに火を点けようとした、その時だった。
「ふぇっ!?」
 腹に巻きついてきた細い腕に驚いて、変な声が出た。背中にごつんと固いものが当たって、腰の辺りには柔らかいものが当たって。ちょっと待って、これは。
「あ、主?」
 確認しなくても、こんなに色が白くて細い腕をしているのは、この本丸に一人しかいない。僕の声に、正解です、とでも言うかのように、巻き付いていた腕がさらに力を増した。背中に当たった頭がすりすりと擦りつけられて、鳥肌が立つ。ぞわ、と一斉に粟立った皮膚は、ジャージに隠れて誰にも見えない。だから僕は、普段通りの外面を張り付けて、なんでもないという声を出した。
「どうしたの? 料理中に、危ないよ。」
「光忠がー、全然来ないから来たのー。」
「うわ、酔ってる!」
「酔ってない、もん。」
 もん、とか言ってる時点で酔ってるよ、主。普段はしゃっきりしているくせに、めっぽうお酒に弱いのだ。だから、飲みの場でも主はいつもはお酒を飲まない。それが今日は、べろべろだった。日本号さんに飲まされたのか。
「誰に飲まされたの?」
「んん? 誰って、いっぱい。」
「いっぱい?」
「最初は、日本号が、主従の契りだから飲めって、お酒渡してきて。」
「飲んじゃったんだ…。」
「ちょっとだけならいいかな〜って思ったの。」
「全然ちょっとじゃないんだけど。」
「それね〜、主従の契り、に反応した子たちが、並びはじめちゃってー。」
「長谷部くんは? そういうとき、長谷部くんが止めてくれるでしょ。」
「長谷部も並んでたー。」
 なるほどね! 納得はできたけど、この体勢はいただけない。さっきから腰の辺りに主の胸が当たって、意識が半分くらいそっちに行ってしまっている。このままじゃ、格好いい僕に支障が出かねない。
「ほら、主、いい加減に離れて。」
「い、や。」
「どうして!」
「だって、光忠、ずっと料理してて宴会に来ないし…。」
「それは僕が賄い担当だからで…。」
「歌仙は何度か顔見せに来たのに。」
 料理を運んでもらった時の事だろうか。僕がキッチン担当で、歌仙くんが表に顔を出す役、というような役割は確かにできていた。だけど僕も、出たくなかったわけじゃないんだけどな。
「主たちが、美味しいって食べてくれるから、頑張らないといけないよね。」
「でも、私は、光忠がいないと、寂しいの!」
 お酒が入っているからか、今日はやけに素直だし、積極的だ。僕としては、出来ることなら今すぐにでも振り返って、抱き締め返してキスでもなんでもしてやりたい。普段は真面目な人だから、素面のままだとこんなにスキンシップを取られることはなかった。千載一遇のシチュエーションなのに、僕には料理を作るという使命が残されている…! ここで振り向けば、理性が負ける。大勢の刀剣の胃袋を預かるものとして、ここで振り返るわけにはいかなかった。
「あとでちゃんと顔出しに行くから。ね、今はいい子にしてて。」
「…光忠。わがまま言ったから、私のこと、嫌いになった?」
「なってないよ! ほんと、今夜はすごく酔ってるよね、きみ!」
 さっきから色んなきみの声が聞こえる。酔って甘えた声のきみ。拗ねて尖った声のきみ。今のきみは、どんな顔をしているんだろう。見えないきみの顔が見たい。腹の前で交差しているきみの手に触れると、触れた場所からすぐに体温が高くなっていった。
「こんなところにいたのか。」
「!!」
 突然、きっぱりとした声が響いて、僕は飛び上がるほど驚いた。山姥切国広。主の、初期刀。
「姿が見えないと思ったら、何してる。」
「…切国には関係ないもん。元気注入中なんだもん。」
「酔っぱらい。」
「酔ってない!」
「おい、大丈夫か、燭台切。」
「いや…いいところに来てくれたよ…。この人、引っぺがして連れていってくれる?」
「分かった。…そら、行くぞ。」
「いーやーだー!」
 離すものかと腕がさらに巻き付いた。初期刀は、この本丸で一番主に遠慮がない存在である。それが腕を引こうが、全身を引っ張ろうが、主は僕にしがみついて離れなかった。まるでコアラ。それも特別可愛いやつ。
「…埒が明かないな…。」
「う、ごめんね。」
「どうして燭台切が謝るんだ。」
「そうだよ、光忠悪くない。」
「あんたは反省しろ。」
 まったく、と息を吐いて、切国くんが僕と主を見比べた。これ見よがしなため息を吐かれているのに、主はつーんとそっぽを向いている。…のが背中に当たる体温で分かる。
「宴の始末をつけるのに、主の挨拶を入れようと思ったんだが、これじゃ、無理だな。」
「あれ、もう終わり? まだそんなに料理作ってないよ?」
「いや、酔い始めた奴が増えて、収拾がつかなくなってきた。まだ意識があるうちにと思ったんだが、もうあれは酒があればいいだろう。」
 今夜は本当にペースが早かったみたいだ。歌仙くんのお酒は間に合うのだろうか。
「…そういうわけだ。燭台切、あんたがこの人を部屋まで連れていってくれ。」
「え!」
「宴に戻したら、また飲まされるだろう。それ以上飲ませたら、どうなるか分からないからな。」
「でも、料理は…。」
「俺がやる。」
「ええ!?」
「…写しの俺には、できないと思うか?」
「いや、そういうわけじゃないけど!」
「これでも、最初の頃はよく作ってた。」
 どこか昔を懐かしむような声で、切国くんは主のほうを見ている。僕が現れるよりずっと前から、きみは主のことを知っているんだもんね。時々それが、羨ましくてならないけど、きみが立派な刀だって知っているから、僕もこれは口にしない。言い出したらきっときりがないのも、全部ちゃんと分かっている。
「主は、あんたに任せる。…まぁ、ほどほどに、相手をしてやってくれ。」
「え。」
 ものすごく含みのある言い方をされて、僕と主はキッチンを追い出された。あれだけ我慢していたのが、いきなり解禁になるとちょっと戸惑ってしまう。喜ぶべきところだろうけど、なんだかすごく照れくさくもあった。
 僕たちは、どんちゃん騒ぎが聞こえる座敷のほうには向かわず、居室へ向かって歩き出した。なぜか主は、まだ僕の腰にしがみついたまま。一歩二歩と僕に合わせて進むものの、非常に歩きにくそうだ。
「腕、いつになったら離してくれるの?」
「…もうちょっと、したら。」
「はやくきみの顔が見たいな。」
 僕が言うと、彼女はぴたりと立ち止まり、やっと僕から腕を離した。僕はすかさず振り返り、解けた彼女の腕を掴んだ。
「みつ、」
「ちょっと黙って。」
「んっ。」
 我慢なんてとっくに限界。今度は僕が彼女を抱きしめて、しばらくゆっくりその唇を味わった。甘い舌からはお酒の味もして、僕を少しその気にさせる。このまま部屋に戻ったら、きみを寝かしつけるどころじゃなくなる気がするね。
 ぼくに口付されたきみの、赤く染まった頬の色。うっとり閉じられた瞼の先で、長いまつげが揺れている。
 さぁ、どうしようか、僕の愛しい人。
 僕の意見を言ってもいいかな。