疑心暗鬼は犬も食わない



 デジタル時計は十五時を少し過ぎたところで、まだ日は高く外は明るい。エアコンから吹き出す風に前髪を揺られながら、俺はじっと腕を組んで道の反対側を睨んでいた。対向車線の向こう側。幅の広い歩道を歩行者や自転車が通りすぎていく。そのさらに向こう側はカフェが併設されたケーキショップだ。歩道側は大きなガラス張りになっていて、店の中が丸見えだった。窓際の席でカップルや女性グループが楽しそうに談笑しているのが、ここからでも良く見える。

 そのうちの一つの席で微笑んでいるのは、俺の妻だった。もう随分寒くなったから、ここ最近ハイネックばかりを着ている妻は、今日も白いニットのハイネックをトップスに、下は焦げ茶のパンツスタイルだった。温かそうながら、爽やかな装いは彼女によく似合っている。問題は、その向かいに座る人物だった。見たこともない、若い男なのである。俺は知らず奥歯をぎりりと噛み締めた。
 事の起こりは、友人からかかってきた一本の電話だった。学生時代からの友人は久しぶりの連絡にも関わらず、まるで昨日会ったかのように気安い。いくつか冗談を交えて近況を報告し合った後、そういえば、と相手が言ったのは妻のことだった。先日の休日に、俺ではない男と歩く彼女を見たというのだ。その日は確かに俺は仕事をしていて、彼女は友人と食事に出掛けると言っていた。まだ若い妻である。独身の友人も多くいて、俺と休みの合わない日にはそうした友人たちと出掛けることもよくあったから気にもとめていなかった。ただし、それはすべて友人が女性だという前提での話である。彼女の会う相手が男だなんて、一体誰が想像するだろう。何かの間違いだろうと俺が笑うと、友人も見間違いだったかもしれない、と言って謝った。きっとそうだ。誰か、他人の空似だろう。
「国重さん、今度の土日ってお休み?」
「悪い。仕事だ。代わりに月曜が休みになってる」
「…そっかー。仕事じゃ仕方ないね。あのね、見たい映画があるんだけど、友達と行ってきてもいい?」
「友達って?」
「ほら、大学で同じサークルだったみっちゃん。結婚式にも来てくれてたでしょう?」
 顔は思いだせないが、その名前なら聞いたことがあった。当然女性である。妻の口から、家族以外の男の名を聞いたことは、つき合っていた頃から一度もない。
「ふたりで出掛けるのか?」
「うん。映画見て、お茶してこようかなって」
「夕飯はどうする?」
「国重さんは? 帰りがはやいなら、一緒に食べたいな」
「分かった。なるべく早く帰ってくる。車で行ったほうが早いだろうな」
「制限速度はちゃんと守ってね!」
 笑う妻に、思わず口付ける。途端、照れたように目を伏せる彼女が愛しくて、俺はもう何度か唇を啄んだ。それが、つい数日前のことだった。土日が仕事だというのは、真っ赤な嘘だ。確かにそういう時もあるが、うちの会社も労基には気を払っている。妻に嘘を吐くことも、妻を疑うことも後ろめたかったが、疑惑をそのままにしておくこともできない。そうして妻を尾行することにした俺が見たのは、まるで信じたくもない光景だったのだ。もしかして妻は俺に飽きたのだろうか。まだ籍を入れて一年だというのに? 夜の営みが激し過ぎたのか、それともやはり、若い男のほうがいいのだろうか。ぐるぐると頭を回る疑念に吐き気がする。妻は美味そうにケーキをほおばり、向かいの男に困ったような笑みを見せていた。
 妻が男と別れて一人になったのは、それからさらに一時間が経った後だった。すぐに俺へ電話がかかってくる。
「……もしもし」
『もしもし、国重さん? まだお仕事かかりそう?』
「いや、もう終わるところだ。いまどこにいる?」
『これから電車に乗るところ。晩ご飯、一緒に食べれそうだね?』
「ああ。車だから、迎えに行こうか」
『本当? じゃあ、ロータリーで待ってるね』
「俺の方が早いかもしれないぞ」
『あはは。何言ってるの。そんなに飛ばしちゃだめだよ。国重さんの会社からだったら、どんなに頑張っても私のほうが早いもの』
「ああ…そう、だったな」
 妻の声は明るく、まるでいつも通りの甘さだった。それじゃあまた後でね。優しい声がそう言って通話が切れてから、駅に向かう妻の背中を見送る。他の男と会っておきながら、妻はいつもの通りだった。むしろ、いつもより甘い声だった気もする。俺は妻をどう信じたらいいのか分からなくなっていた。


   *** ***


 それからしばらく、俺はなるべく妻と休みを合わせるようにした。妻はそれを素直に喜んでいるようで、休みのたびに昼間から体を重ねても一度も文句を言わなかった。むしろ積極的に脚を開く妻に、俺は束の間、例の男のことを忘れた。忘れようとした。
「っあ…っ、あっ、くにし、げ…っ、さ…っ、イッちゃう……っ」
「…っ、っ、…っ」
 切なげに俺を呼ぶ妻の声と、乱暴に擦りあげる膣内の温かさで頭を満たす。果てる瞬間はそれで確かに心も満たされた。だけど、だめだ。ほんの少し時間が経つと、また隙間から冷たい空気が入りこむように、晴れない霧が漂うように、俺の胸はじりじりと妻への疑いで濁っていった。妻はここにいる。俺を愛している。幾度も妻の中に熱を吐きながら、俺にしがみつく妻の温かさを離さないとばかりに抱き締めた。ずっと妻を抱いていたかった。片時も離したくなかった。俺がずっと傍にいられたなら、他の誰も妻には近づけないのだから。
 平日が来るたび、妻と離れなければならないことが辛くなっていった。時々、妻の帰りが遅いときは、本当にただの残業なのか疑わしく感じてしまう。そんな日は、妻が駆け込むように家に戻ってきてくれることにも疑念が湧く。ただいまもそこそこに、妻が俺のキスを欲しがるのは結婚してからずっと変わらない。それなのに、そんな彼女の態度さえも、まるで罪滅ぼしのようだと、そう感じてしまう自分が情けなかった。どれだけ休日を合わせても、職場が違うのだ。そして、その金曜日がきた。
『ごめんなさいっ』
 珍しく早く帰宅した俺が、妻に代わって夕食を作っていた時だった。妻だけに設定した着信音が鳴って、俺は嬉々として通話ボタンを押した。電話に出た俺の耳に届いたのは、今にも泣きそうな妻の声だった。急に、会社の歓迎会が決まったのだという。
「こんな時期に?」
『最近新しい派遣の人が入って……』
 いつ歓迎会をやるか、ずっと決まっていなかったのだという。初耳だ。妻はいつでも、俺に会社での出来事を話してくれる。俺の知らない彼女の生活を知れるのだ。俺がそんな話を聞き逃すはずがなかった。率直におかしいと思った。そのくせそれを、彼女に伝えることができなかった。
「……そうか。今夜はハヤシライスにしようと思っていたんだ。作っておくから、明日一緒に食べよう」
『うんっ、絶対! 本当に、ごめんなさいっ! なるべく早く帰るから…! ……っ、本当は、いますぐ帰って国重さんのご飯が食べたい……』
 なぜか泣きそうな声をして、妻が国重さん、と俺の名を呼んだ。
「どうしたんだ」
『……好きだよ。大好き』
「……ああ、俺も好きだ。誰よりも愛してる」
 俺が言うと、受話器の向こうでずずっと鼻をすするような音がした。飲み会を嫌がるにしては様子が変だ。名残惜しそうに電話を切る妻の声が、演技だと思いたくなかった。
 作ってしまったハヤシライスを一人で食べる。味気ない。テレビをつけても部屋はどこか空虚で閑散としていた。当たり前だ。妻がいないのだから。ただいないわけじゃない。今またどこかで、俺の知らない男と会っているのかもしれない。俺以外の男と、笑って飯を食べているのかもしれない。
「……っ、くそっ!」
 耳鳴りがする。俺はスプーンを放り出して、食べかけの皿をそのままに、車のキーを掴んでいた。


   *** ***


 電話のコールに妻が出る気配はない。本当に飲み会なのだとしたら、賑やかさで気付かないだろう。だが俺には、妻が本当に飲み会に出ているとは到底思えなかった。なぜかあの男といるのだと、そう直感が告げている。使いたくはなかったが、背に腹は代えられない。スマホの画面を開く。呼び出した画面で、青いマークが地図上に映るのを眺めた。妻に持たせたGPS発信機だ。初めて妻を尾行した日の翌日に妻の鞄へ仕込んでおいたのだが、どうやら妻は気づいていなかったらしい。いつも同じ鞄を使う妻で良かった。混沌とした妻の鞄を思いだし、俺は少しだけ口を緩めた。地図上のマークは繁華街の建物に止まっている。食事をしているのか、マークの位置は変わらなかった。車を出して近くの駐車場に停め、再びマークの位置を確認する。妻は動いていなかった。場所は雑居ビルの辺りである。ビルの入り口は通りに面して分かりやすく、俺は向かいの喫茶店でそこを見張ることにした。
 先に会計を済ませてコーヒーを啜っていると、いくらも経たないうちに妻が現れた。案の定、例の男と一緒だった。男が妻の腕を引いて歩こうとしている。妻はもたもたとそれについて行った。二人とも妙に足元が危ういのは、酒でも飲んでいるからだろうか。店を出て二人を追う。金曜の夜を浮かれ歩く人々にまぎれて、妻と男はただの若いカップルのようだった。二軒目に向かうつもりなのか、ネオンの明りが眩しい通りを、男はふらふらと歩いていった。時々立ち止まって話をしている二人の声は聞こえないが、妻が妙に顔を顰めているのが気にかかった。
 しばらくそうして通りを歩いていた二人が、不意に横道に逸れた。明りの少ない通りは人が少なく、あまり近づくと気づかれてしまいそうだ。道の角から二人を視線だけで追うと、男が建物の前で立ち止まった。
 ぞわりと、毛が逆立つ思いがした。弱い明りで控えめながら、蛍光ピンクとグリーンの光がそれらしい。いかがわしい看板は明らかにラブホテルのそれで、男は妻の腕を引いてその入り口に向かおうとしていた。もう黙って見ていられるわけがなかった。脚が勝手に走り出す。間を開けたのがまずかったかもしれない。駆け出した俺とふたりの距離は数百メートル。たどり着く前に、妻が男について行ってしまったら。
「やめてくださいっ!」
 明確な拒絶の声とともに、ぱしん、っと大きく肌を打つ音がした。思わず脚が止まる。妻が男の腕を振り払うとき、その手が男の頬をぶったのだ。様子がおかしい。近づくにつれて声が聞こえてくる。
「こんなのっ、絶対おかしいじゃないですか…っ!」
「痛いなぁ……暴行罪って知ってる? 俺が訴えたら、さん、前科持ちになっちゃうかもね?」
「っあ、あなただって、私に訴えられたら、困るでしょう!?」
「へぇ、どうして? 俺はただ善良なお医者さんってだけだよね。だからさんも、突然呼び出したのに来てくれたんでしょ?」
 男はにやにやと笑って、また妻の腕を取ろうとした。それを振り払い、よろけた妻はその場にしゃがみこむ。やはり酔っているのだろう。動きが鈍い。男も同じように緩慢な動きで、それでもまだ妻を立たせようとその腕を掴んだ。
「いや…っ」
「いつもさぁ、旦那さんとどうやってるのか教えてよ。そしたらアドバイスができるかもしれないでしょ?」
 下卑た笑みを浮かべる男に、妻の顔が青ざめる。それを見て、俺は再び足の動きを速くした。尾行を意識して履いてきたきた靴はほとんど音を立てず、ふたりとの距離はぐんぐん縮まる。先に気付いたのは妻だった。一瞬驚いた顔をして、それからすぐに泣きそうになる。ああ。今すぐ彼女を抱き締めてしまいたい。それには、目の前の男が邪魔なのだ。
「おい」
 振り返った男の顔を間髪入れずに殴りつけた。あっけないほど簡単に、男は吹き飛んで地面に倒れた。溜飲が下がる。軽く手を振って、俺は地べたに座りこんだままの妻のそばに膝をついた。
「……どうしてここが分かったの?」
「それはまぁ、愛の力で」
「なに、それ」
「立てるか?」
「うん」
 触れた妻の手は震えていた。ふらつく体を支えるために、その肩を抱く。妻の匂いがした。胸が苦しくなって、ぎゅっとその体を抱き締めてしまう。そのままキスをしようと、顔を近づけた時だった。背後で呻き声が上がったのは。転がっていた男が起きたらしい。全く。少しは空気を読んだらどうなんだ。
「ってぇな、誰だてめぇ!」
「お前こそ誰だ。俺の妻をこんなところに連れ込んで、何をしようとしていた?」
 男はようやく、俺が誰が理解したようだった。目に見えて怯み、見下ろす俺と妻を見比べている。
「医者だと言っていたな? 医者がこんなところに、一体何の用がある?」
「あ、あんたの奥さんが、子どもが欲しいって言うから、」
「へぇ」
 俺は心底感心した声をあげた。浮かべた笑みは凄絶に見えただろう。男が息を飲む。
「誰の子どもが、欲しいって?」
 鈍い音がした。俺のかかとが男の膝を蹴りつけた音だ。男は呻き声をあげて膝を抱え、蹲った。次はその肩を蹴る。バランスを崩した男は抱えていた膝を離して後ろに倒れ込んだ。
「な、なにす、」
「一発で終わると思ったのか? 俺の妻に手を出して? ハッ」
 俺は笑いながら、転げた男の横腹を蹴った。男が呻く。その顔の横に勢いよく足を落とした。
「ひいっ」
 男の少し長い髪の毛を、にじるように靴底で磨り潰すと、男はがたがたと震え始めた。ざりざりと耳に直接音が響いているのだろう。それを哀れだとは思わない。殺してしまいたい。こんな男は、妻の世界から消えるべきだ。
「知らないようだから、教えてやろう。俺は、俺の妻を傷つける奴など、死んでも構わないと思っている。――ああ、違うな」
 男の目を見て、俺はできるだけ綺麗な笑みを浮かべた。
「……殺してもいいと、思っている」
 男にはそれで十分だった。俺に踏まれた髪が千切れるのも構わず、男は俺を押し退けて立ち上がり、逃げていく。その背中が角の向こうに消えてようやく、俺は肩の力を抜いた。

 振り返って妻の名を呼ぶと、妻は怯えたように身を震わせた。妻まで怖がらせたのだろうか。
「…ごめん、なさい」
 その言葉に、俺は顔を顰めた。妻は何を謝っているのだろう。
「家に帰ろう、
 頷いた妻を伴って、駐車場に戻る。車の中で、俺たちはほとんど何も喋らなかった。妻は何か言いたげだったが、家に帰ってからにしてくれと言ったのは俺だ。エンジン音と、エアコンの音だけが聞こえる。なるべく早く家に着くように、いつもよりスピードを上げた俺を、今夜の妻は怒らなかった。
 家に戻ると、リビングはハヤシライスの匂いに満ちていた。しかし今はそれに構っている場合ではない。上着を脱ぐ間も惜しく、妻を抱き寄せ、肩にかかっていた鞄を床に落とす。そのまま冷えた妻の唇を啄んだ。
「国重、さん」
「……あの男と、したのか?」
「っ、してないっ!」
「キスは?」
 返事はなかった。なんてことだ。俺はぐしゃりと顔を顰めると、妻の唇に舌を捩じ込んだ。
「っん、ぅう…っ!」
 歯列をなぞる。歯肉も、口蓋の硬いところも、柔らかいところも、隙間なくすべてを舐めて味わって、どこにも、あの男が触れた場所を残したくなかった。喉の奥まで舌を突き入れ、それでもまだ触れられない奥があることに気付いてしまう。一度唇を離すと、妻は肩で息をしていた。うっすらと涙を浮かべた目元は色っぽい。あの男が欲情したのも頷ける。一体、どんな表情を見せたのだろう。この唇を俺以外に吸われて、どんな声を上げたのだろう。
「うっ!?」
「少し、我慢しろ」
 柔らかい唇を指で割る。隙間から押し込んだ指に舌が触れて、ぬるついた感触が指の付け根を舐めるのが気持ちいい。妻がぎょっとした顔を見せるのに構わず、喉の奥まで指を突っ込んだ。
「んぐっ、ぅっ、ぐぅっ……!」
 苦しいのだろう、口の端から涎を垂らしながら、妻が喉を鳴らしていた。柔らかい口蓋垂を指先で撫でると、途端に彼女は咳き込んで喘いだ。ぼろぼろと涙を流す妻の姿に、俺は少なからず興奮し始めていた。これは必要な処置だ。あの男の痕跡など、全部俺が消してやる。そのためには少し、妻に無理をさせてしまうかもしれない。舌では触れることのできなかった奥の方を、一通り撫で終わってから指を抜いた。妻はげほごほと咳き込みながら、涙を流して俺を見上げた。
「っはっ、国重さ……っ!」
「大丈夫か?」
「な、なに……っ」
「服を脱げ」
「えっ」
「早く脱いで」
「っ!?」
 涙と涎でぐしゃぐしゃの顔になった妻は困惑したままおろおろしていた。仕方ない。俺は手早く自分のコートを脱ぐと、妻のコートを剥ぎ取り、細い体を抱き締めて服の裾を捲りあげた。剥き出しの腹に触れる。ここに種が欲しいというなら、いくらでも。注ぐのは俺の役目だ。誰にも譲らない。
「なぁ、あの男は何だったんだ?」
 妻のズボンを脱がせながら、俺は問う。背後から抱き締めているせいで、妻からは俺の顔が見えない。それが不安なのだろうか。おどおどと視線を彷徨わせながら、妻が口を開いた。
「婦人科の、先生で……」
「ああ、医者だと言っていたな?」
「ふ、不妊治療の、相談に行ったら、あの先生が担当になって」
 膝までズボンを脱がせて手を離し、今度は上半身に手を伸ばす。捲り上げた服の中、剥き出しになったブラジャーも、下に手を掛けて胸の上まで引き上げてやった。ぶるんと揺れた胸が飛び出してくる。
「ひ…っ、ち、治療のためには、いまどういう生活してるか、教えなさい、って……っ」
 両手で剥き出しになった膨らみを掴んだ。温かい皮膚は冷えた部屋の空気に曝されてふつふつと粟立っている。膨らみの中心も、期待するように硬く尖っていて、指先で捏ねるのが容易だった。妻の喉から喘ぎ声が迸る。
「それで?」
「そ、それで、な、何回中で出したとか、どれくらいの、間隔でしてる、とかぁ…っあっ」
「そんな話をあいつにしたのか」
「ご、ごめんなさ……、ぁひ…っ」
 赤く尖った乳首を両手でころころと弄るだけで、妻の息が上がっていく。他愛なく可愛らしい。こんな彼女が、俺との夫婦の営みを他人に語っていたかと思うと、口惜しい。あの男を殺さなかった自分にも腹が立った。
「あいつとデートしてたのは?」
「病院の診察時間だけじゃ、話を聞く時間が足りないから、って…」
「外でセックスの話をしてたのか」
「…話の内容が内容だから、カラオケとか、個室のお店で、」
 個室で? 二人きりで? 妻が口にした言葉で、俺は堪忍袋の緒を切ってしまった。抱き締めていた妻の体を離し、その場にしゃがませる。困惑する妻の目の前で、俺は自分のズボンと下着を膝まで一気に引き下ろした。晒された陰茎に、妻が不安そうな顔をする。俺はまだ垂れ下がったままの陰茎を掴んで、その先を妻の唇に押し当てた。
「んぅっ!?」
「口、開けて。しゃぶれるだろう?」
「く、国重さ…んぅうっ!?」
「はっ、そのまま喋るな。歯が当たる」
「っんっ、んんっ!」
「どうした、頑張れ。いつももっと膨らんだのを咥えてるだろう?」
「っ! っんぐっ!」
 妻の頭を掴んで、自分から腰を振る。こんなことを妻に強要するのは初めてだ。妻が苦しげに顔を歪めるのを見下ろす。それは倒錯した興奮を呼び起こし、彼女の口の中で自分がむくむくと膨れていくのを感じていた。
 しばらくそうして腰を揺すって、彼女の上顎に膨れた亀頭が擦れるようになって漸く、俺が腰を離してみると、先からとろりと透明な糸を引きながら、たっぷりと濡れて膨らんだ陰茎が空気に曝された。解放された口を開いたまま、妻は大きく息を吸い、荒れた呼吸を繰り返している。口の端から垂れる唾液には、俺の先走りもいくらか混じっていることだろう。
 床に座りこんだままの妻を抱き上げ、四つん這いにさせる。つき出した尻を抱き寄せると、顔を近づけるまでもなくふわりと雌の匂いがした。下着の上から秘部を撫でる。びくりと反応を見せた妻の耳が、後ろから見ても分かるほどに赤く染まっていた。
「なんだ、ちんぽをしゃぶっただけで興奮したのか?」
「っ!」
「いつもより、濡れているんじゃないか?」
 下着の上からでもぬるつくそこを、ゆっくりと撫でてやる。淫核に指が振れるたび、びくん、びくんと尻が揺れた。
「な、なんでこの体勢なの…っ」
「種付けしてほしいんだろう? 獣みたいに、いっぱい腰を振ってやる」
「っ!?」
 下着を剥いて、尻の間から陰茎を擦りつける。唾を飲み込む合間に、亀頭の先が膣に埋もれた。
「やっ、やだっ、国重さん…っ!!」
「は……っ、そう言う割に、絡みついてくるぞ…っ」
 ぐちゅっ、と音がした。みっともなく愛液で濡れた膣は誘うように吸い付いてくる。入るだけ陰茎を捩じ込み、抜ける寸前まで引いて、また奥へ。最初はゆっくりとした動きで中を掻き混ぜ、そこが十分に解れていることを確かめてからは、もう遠慮をしなかった。
「あっ、あぁっ、やぁ…っ、国重さん…っ、国重さっ…っ!」
 ぱんっ、ぱんっと音を立てて、俺と彼女の太ももがぶつかる。フローリングの床に、愛液がぽたぽたと垂れていく。緩衝材一つない床の上で、乱暴に彼女へ体重をかけて腰を振るった。妻の片足を持ちあげて、角度を変える。悲鳴のような喘ぎ声をあげた彼女につられ、中へ熱を吐き出した。一回目。
 びくっ、びくっと彼女の膣が痙攣する。絞るような締め付けに一瞬動きを止め、けれどそのまままた腰を動かし始める。これまで、一晩で一番多く吐き出したのは何回だっただろう。今夜は彼女が望むだけ、膣に納まりきらないほどの精液を中に注いでやろう。俺は彼女の腰が下がりそうになるたび腹を引き上げて、何度も何度も腰を叩きつけた。
「あっ、あぅっ!」
「どうした、もう根を上げるのか?」
「ひぃんっ…っ!」
「ああ、そうだ。もっと強く締め付けて、俺の精子を搾り取ってみろ」
 二度目の射精の後、彼女はもう膝を立てていることができなくなった。仕方なく突っ伏した体に圧し掛かる。俺の体重を受け止めて、硬い床に押し潰された彼女が苦し気な声を上げるのを、腰を振って黙らせた。いや、正確には、甲高い喘ぎ声に変えたのだ。苦痛のくの字も忘れさせてやったというのが正しいのか。
「やぁっ! だめっ! これだめなの…っ! くにしげさっ、あっ、あんっ、んんっ!」
 一番感じると言っていた寝バックだ。縋るものもない床の上を、彼女の指が滑る。力の入った指の関節は真っ白で、床を滑った指先がぎりぎりと音を立てていた。
「あっ、イク…っ! また、イクからぁ……っ! あぁっ、やめて…っ、おかしく、なっちゃう……ッ!」
「っく、…っいい、ぞ……っ、その調子だっ。絞って絞って、吐き出すくらい、飲み干せ…っ!」
「いやぁっ…っ! ごめ、ごめんなさい……っ! ごめんなさいっ、国重さん…っ!!」
 助けを求めるような妻の悲鳴に、酷く興奮した。謝られても、縋られても、どうしてか腹の中で煮えたぎる熱が収まらない。だから出してしまうしかないのだ。俺はそのまま妻の中を穿ち続け、泣き声を聞きながら三度目の熱を吐き出した。


   ***


「はっ……、はぁ…っ、くにひげ、ひゃ…っ」
 妻が、ぽろぽろと泣きながら喘いでいる。もう何度出したのだったか。真っ赤に充血した股から流れ出した精液と、垂れた愛液が床をあちこち汚していて、体を支えようとした手が何度もずるりと滑り始めた頃、俺はようやく冷静さを取り戻そうとしていた。硬い床にぶつけた妻の体のあちこちに、無残な痣が出来ている。
 じわりと、後悔が押し寄せていた。挿入したままの腰を引くと、塞がれていたそこから、またとろりと白いものが溢れてくる。それは俺を咎めるように、とろとろと終わりなく妻の股座を汚していった。あれほど燃え盛っていた腹の熱は熾火を残して静まっていた。胸のあたりがむかむかと気持ち悪いような気がするのは、喉が渇いているからだろうか。
「……
 そっと妻の名前を呼ぶと、俺を探しているのだろう。突っ伏した体は微動だにしないまま、睫毛だけが僅かに震えていた。

 力の抜けきった妻の体を抱き上げ、それまでずっと背中から覆い被さっていた体を、正面から抱き締めた。
「くにし、げ、さ……」
 ぽろりと、また妻の眦から雫が落ちる。顎の先まで伝ったそれを、舌先で舐めて口に含んだ。妻の体は汗ばんで、とても甘い香りがする。俺が好きな匂いだ。泣きたくなるほどに、愛しい。俺の妻。俺の主。
「……悪かった」
 乱暴にしすぎた。腹を立てすぎた。今考えても腹は立つけれど、彼女をこうも傷めつけていい理由にはならなかったのに。なんてことを、してしまったのだろう。
「うう…ん。わたし、のほう、が……ごめん、なさい……」
 俺の腕に支えられた妻は、力なくその体重のすべてを俺に預けていた。背中を伸ばすだけの体力も残されていないのだろう。緩く開かれた妻の唇が、赤く切れていることに気付いてしまう。責め苦に耐えるときに、噛んだのか。血の滲んだ唇をぺろりと舐めると、妻は少しだけ目を見開いた。
「……そんなに、子どもが欲しかったのか?」
「……うん」
「俺だけじゃ、だめなのか?」
「うん。ひとりじゃ、だめ」
 言われた言葉に、俺はがつんと頭を殴られたようだった。俺には妻がいればいいのに。彼女は、俺だけではいけないのか。強い衝撃に言葉を失って、俺は黙りこむしかなかった。それに気づいた彼女が、少し慌てたように「あっ、ちがう」とその続きを口にした。少し回復してきたのか、その声はさっきより余程聞きとりやすくなっている。
「もし、わたしたち、どちらかが死んだら、残されたほうは、悲しいでしょ?」
 何の話をしているんだ?
「あの、あのね。明日わたしが死んだら、国重さんどうする?」
「一人で死なせるわけがないだろう。後を追う」
「ほら、それが、だめ」
「???」
「逆に国重さんがさきに死んで、私が後を追うって言ったら?」
「だめだ、死ぬなんて」
「ほら。ね?」
 妻は、くすりと眦を下げた。
「国重さんには、生きてほしいから。子どもがいたら、放り出して死ぬなんて、無理でしょう?」
 私も、一人じゃないなら、生きられると思うから。
「そん、な、理由で?」
「単純に、国重さんの子どもが欲しいなっていうのも、あるよ」
 だから、と妻は少し下を向いた。
「だから、国重さんの子どもじゃないと、嫌なの」
 そっと、妻の指が俺の腕に触れた。
「他の、誰でも、いや。国重さんじゃなきゃ、いや」

「……一人で病院行っちゃって、ごめんなさい。……あの、今度、一緒に行ってくれる?」
「……ああ」
「へへ、良かった」
「ただし、絶対に別の病院にするからな」
 それだけは譲らない。決意を込めてそう言った俺に、妻は首だけ動かして頷いた。汗まみれの体で抱き合い、愛されていることに泣きなくなる。耳の傍に唇を擦りつけて、もう一度だけ謝った。乱暴してすまなかった。優しく抱き返してくれた妻の腕が、すべてを許してくれている気がした。