001

あおいいし Type Sylvain

 自分はとても愚かだと、その時改めて俺は思った。
 五年前の約束を律義に守り、千年祭に合わせて集まったかつての級友たちは、それぞれが五年の歳月分大人になり、きっと傷も憎しみも積み上げてきている。その中で唯一、あの時と寸分違わない姿で現れたのが、ベレスだった。
(生きていたのか)
 そう思ったのは自分だけではないはずだ。この五年、小さな噂の一つすら耳にせず、もうとっくに死んだものと思われていた教師の姿に、誰もが驚いて喜びを口にした。自分ですら、少し浮かれて見せたというのに、当の本人は淡々としたもので、酷く変わってしまったかつての級長に眉を曇らせている。
 俺たちは五年間、地獄を見てきた。
 兵を、土地を、誇りを奪われ、それでも折れずに戦ってこられたのは馬鹿みたいな騎士道精神の賜物だ。死んだと言われた殿下のことだって、先生と同じように諦めてしまえば良かったのに、時折耳にする不穏な噂のひとつやふたつに希望を見出し、俺たちは悪あがきにも等しい抵抗を続けてきたのだ。
 そう、俺たちは先生のことなど諦めていた。忘れてはいなかったけれど、期待してもいなかった。一度だって夢に見ることはなかったし、そのことに何の罪悪感も覚えていなかったのだ。
 感覚が麻痺していたわけでもない。そういうものだと思い込んで、楽しかった学生生活だけで生きてこられていた。俺にとって、その程度でしかなかったはずなのに。
「うわ」
「おっと」
 華奢な足が踏んだ敷石がぼろりと崩れて落ちていく。段差を踏み抜いた形になった先生の体を、咄嗟に支えたのは数年の間に太さを増した自分の腕だった。
「すまない、シルヴァン」
「いえ、大丈夫ですか?」
「うん。問題ない」
 無表情の中にほんの少しの親しみを込めて、先生が頷いた。
 その瞬間だ。俺は、自分がとても愚かだと思い知らされた。
 埃っぽい部屋の、埃っぽいベッドに横たわって天井を見上げる。五年放置されたとはいえ、堅牢な石造りの寮は健在で、少し掃除をするだけで俺たちはねぐらに困らなくなった。五年前と同じ並びで、俺は二階の一番奥の部屋だ。隣は殿下だが、部屋に戻ってきている様子はなかった。
 だから、魔が差したのだ。
 下衣を寛げ、下穿きからそれを握り出す。すでに芯を持ち始めていた雄に苦笑して、俺は緩くそれを擦り上げた。
 脳裏によぎるのは、柔らかそうなあの肢体だ。抱きとめた時の軽い感触。豊かな胸の膨らみ。形の良い尻。服を脱がせれば、どんなに俺の目を喜ばせてくれるだろう。
「は……」
 俺は愚かなのだ。こんな妄想で一人自分を慰めることをして、何になる? 五年前だって、ここまで馬鹿ではなかったはずだ。あの頃、先生と俺は教師と生徒にしては親しかった。けれどそれだけだ。茶会に呼ばれて、他愛ない会話で微笑みあう。相手が気に入るだろうものを見つけたら、贈り合う。そんなのは子どものお遊戯みたいなもので、何ら特別なことではなかったし、男女の機微に疎そうな先生が、そういったつもりでなかったことは分かっていたから、俺は一度だって先生で抜いたことなんてなかったのに。
 目の前に、あの人がいると分かっただけで。
 ただ躓いて倒れそうだったあの人に触れただけで。
 ぶり返すどころか、それ以上の情動に突き動かされて、こんなことで手を汚すなんて。
 違う。しばらく女を抱いていないからだ。そう思うのに、頭の奥では先生の裸体だけがちらついた。
 あの体はどんなに柔らかいだろう。どんな匂いがして、どんな味がするのだろう。
「っ、先生……っ」
 ぎゅっと握り締めた手の中に、どろりと濃い白濁が零れた。粘っこくて汚いそれは、あの人への俺の執着に似て吐き気がした。


***


 日々は呆気なく過ぎていく。妄執に囚われた殿下の意向を汲んで、俺たちは帝国を相手に死線を繰り返し駆け抜けた。圧倒的な兵力差を、先生の差配が変えていく。勢いづく俺たちの拠点はガルグ=マクで、物資の少ない中、俺たちは健気に日々を生きていた。
 俺の愚かな行為も、幾度となく繰り返された。血で血を洗うような戦闘の後は言わずもがなだ。少し擦れば年端のいかないガキのように、何度でも右手は白濁に汚れていった。
 へまをしたのは、そんな日々の中だった。
「シルヴァン、すまない」
「謝らないでくださいよ。別にあんたが悪いわけじゃない」
 俺が勝手に庇ったんですから。
 長年放置されてきたせいで、ガルグ=マクの周辺は盗賊の類が多く出没する。そんな中のひとつを潰しに出かけたある日のこと、俺は先生を庇って右手に手痛い怪我を負った。傷自体は白魔法で塞がったが、血が足りないのかふらふらする。自室で寝ていろと押し込められた俺の元に、悄然とした先生が現れたのは夕餉の後のことだった。
 指揮官として働く先生が忙しい事は知っているが、こんな時間に男の部屋に来ることを、どうとも思っていないことが少しだけ気にかかった。
「明日には戦線にも復帰できます。大した怪我じゃない。問題ありませんよ」
 ベッドの上からそう言ってみても、説得力がないのだろう。麗しい尊顔を器用に顰めてみせた先生に、俺が劣情を抱いたのは、ここが俺の領域だという安心感があったからだろうか。
「そんなに言うなら、先生。ちょっと手伝ってもらえますか」
 きっと俺は、腹が立っていたのだろう。イングリットの部屋は離れているし、フェリクスはまだ鍛錬でもしているに違いない。隣の殿下はどこかあらぬところを徘徊していて大抵留守だ。男ひとりの部屋へ無防備に訪れて、平然としている先生を揶揄ってやりたかったのかもしれない。
「なんでも言ってくれ。出来ることならいくらでも手伝う」
 先生は何も考えずにそんなことを言う。俺がどれだけ汚れた男かも知らないで。
「そうですか。じゃあ、お願いします」
 俺はそう言うと、ゆるく勃ちあがったそれをぼろりと彼女の前に放り出した。
 既に半勃ちの状態になっていたそれを見て、先生は目を丸くした。
「初めて見るわけでもないでしょう?」
 俺の挑発的な言葉に、先生は少しだけ眉をひそめた。それは俺への嫌悪によるものか、それとも侮蔑によるものか、いずれにせよ好意的なものでない反応に、膨れ上がっていた俺の苛立ちが徐々に萎んでいく。何をやっているんだ、俺は。
 上掛けで晒した逸物を隠そうとしたその瞬間、先生が一歩俺のほうへと踏み出した。
「擦れば、いいんだね?」
 ベッドの脇に跪いた先生が、白魚のような指を伸ばす。それは過たず俺の中心を握り込み、その瞬間俺はカッと顔に熱が集まるのを感じてしまった。
「な、」
「これでいい?」
 さすさすと優しく擦られる。熱を帯びた雄に対して、先生の手は冷たく、きゅっと腰が引き締まる。戸惑いがあるからか、刺激が弱すぎるのか、俺自身はまだ柔らかいままで、先生にもそれが分かったのだろう。ひそめられていた眉がきゅっと寄ったかと思うと、彼女はありえない行動に出た。
「ん……っ、はむ」
 薄く色づいた唇が、俺自身を咥えていた。ぬるりと熱い舌が這う。ひ、と声をあげそうになって、俺は慌てて手の甲で唇を塞いだ。
 手技も口技も、先生のそれは拙くたどたどしい。決して慣れているとは言い難いその行為を、微塵の躊躇いもなくやってのける神経が理解できなかった。
「ああ、少し大きくなったな」
 当たり前だ。いくら捻じれた情欲を抱えているとはいえ、好いた女に口淫までされて兆さないほど不能ではない。元気よく膨れ始めた俺を満足気に見遣ると、先生は更に深くそれを口に含んだ。
「うぁっ」
 思わず声が漏れる。唾液に滑りが良くなった竿を指がしごき、先走りを溢す先端に吸い付かれる。上下する緑の髪に指を絡めた俺は、その動きを止めたいのか、それとも促したいのか、判断に迷ってそのまま形の良い後頭部を撫でてしまった。
 その瞬間、先生が見せたうっとりとした眼差しを、俺は息を呑んで見つめていた。この女は、俺に頭を撫でられて喜んでいるのだ。
 その衝撃をどう表せばいいのだろう。途端に、吐精感が膨れ上がる。俺は慌てて先生の顔を引き剥がした。どぴゅっと噴き出した精が、先生の顔に引っ掛かる。少し上気した頬や赤い唇を濡らした白濁に、ぞくぞくと言い知れない征服欲が頭をもたげた。
 顔を汚した白濁を手巾で拭うと、それをちらりと見下ろして言った。
「……なに考えてんですか、あんた」
 俺なんかの言いなりになって。俺なんかに汚されて。あまつさえ、俺に撫でられて喜ぶなんて。いつもの感情が見えない顔に戻っていた彼女は、つ、と俺自身を撫で上げて口元を緩めた。
「手伝いになった、かな」
「っ!」
 思わず手巾を投げつけた。立ち上がった先生は、それを受け止めて優しく笑った。
「洗って返すよ。また、お邪魔する」
 物も言えない俺をよそに、部屋を出ていく背中は迷いがなかった。
 俺は一人で蹲る。なんなんだ、これは。どうして敗北感を覚えている?
 この青臭い感情を、どう処理していいか分からずに、俺はのろのろと下衣を引き上げるのだった。